赤穂ブログ
神戸の出張から帰る時にはたいてい高取峠と言う峠を通って赤穂に帰ります。相生と赤穂を隔てるようにこの峠はあります。くねくねと曲がって頂上付近まで上がると早籠の像があります。
これは元禄14年(1701年)に起きた、城主浅野長矩の江戸城殿中刃傷事件を赤穂にいる大石内蔵助に伝えるために早籠で運んだ1シーンを再現しています。江戸から赤穂まではなんと百五十五里(約600キロ)離れています。その距離を昼夜を問わず4日半かけて走ってきたのです。当時、その使命を受けたのは早水 藤左エ門と萱野 三平の2人でした。赤穂の一大事を伝えるためどんな思いでこの峠を通ったのでしょう?この時から忠臣蔵のスーリーは始まっていたのかもしれません。